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鴬歌

新北市旅行スポット
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  • 陶芸体験
  • 鴬歌陶瓷博物館の展示品
  • 鴬歌陶瓷博物館

情報

電話番号:
+886-2-26780202(鶯歌区役所)
所在地:
新北市鴬歌区
経度/緯度:
121.35434/24.955971
リンク:
鴬歌_観光関連リンク

話題タグ

早期は粗陶器の生産から始まりましたが、技術の向上に伴って、しだいに陶芸の里としての名声を勝ち取っていきます。その過程を振り返ってみましょう。

日本統治時代の1899年、鴬歌に鉄道が走るようになりましたが、その前の水運の時代から、鴬歌は交通の要衝として栄えていました。尖山堆、八徳、大湖などの土が製陶の適していたことに加えて、至便な交通、豊富な燃料などの要素が加わって、鴬歌では早期から、瓦、甕、碗、皿などが生産されていました。やがて機械化生産が始まると、工業としての体裁を整えていき、住民のおよそ8割がこの産業に従事するようになりました。以来、当地の人々と製陶は切ってもきれない縁を結ぶことになります。ここに陶芸の里としての基盤を確立したのです。

過去の鴬歌は、高密度の同質産業を抱え、製陶に関わる軽、重工業地域を形成していきます。これは当地人々に就業の機会を与えたばかりでなく、多くの人々がこの地に入り込み、鴬歌の発展を促しました。やがて伝統の陶芸文化を守りつつ、製陶に次々に科学技術が取り込まれていきました。鴬歌は一方で、米の生産地としても知られていました。日本時代は米倉とも呼ばれていたのです。およそ百年前の米倉が今も完全な形で保存されています。さらに石灰の採掘も活発におこなわれていました。

しかし1990年になって、陶磁器産業が重大な危機に直面すると、人々は伝統文化の保全に目覚め陶芸学校が設立されました。そうした努力が実って、鴬歌の伝統の技は守られ、内外から「台湾の景徳鎮」と呼ばれるように至りました。

2000年になって、尖山埔路に「陶磁老街」が整備され、「鴬歌陶磁器博物館」が創設されました。一世紀にわたって発展してきた工業の町から、藝術の町へとその様相を変えます。1988年からは陶磁器祭が挙行されるようになり、それは鴬歌を再生させたばかりか、鴬歌の名を国際舞台へと押し上げたのです。

交通情報

交通情報は変更されることがあります。お出かけ前のご確認を忘れずに。
自家用車:

国道3号→三鶯インターチェンジで降りる→県道110線→県道114線

公共交通機関:

鉄道で「鶯歌駅」下車。

ツアー

最終更新日時: 2019-03-12

周辺情報

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