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伝統的な行事やイベント

旧暦春節

春節は、通常旧暦正月の元日(初一)から5日(初五)までを指します。この期間は「過年」と呼ばれ、漢民族にとっては最も重要な行事です。また、行事と共に多くの風習が今日まで伝えられてきました。旧暦12月23日あるいは24日は「かまど祭り」(王爺が天に帰る)と呼ばれ、「春節」の幕開けにあたります。

「春節」の前夜から正月5日まで、各地には色々な風習があります。「春節」前夜、すなわち大晦日の日に、家々では「掃塵」(煤払い)と呼ばれる大掃除をします。一年のほこりをはらい、新しい年を迎える準備が完了すると、お餅作りが始まります。旧暦12月最後から二番目の日は「小年夜」と呼ばれ、家々の門前や玄関にお祝いの言葉が書かれた「春聯」と縁起物の「年画」を張ります。旧暦12月最後の日(大晦日の日)には家族一同が集まって食事をします。「囲爐」と呼ばれ、料理には「長年菜」や大根、魚、パイナップルなどが食卓に並びます。それから子供達や年老いた両親に健康と長寿を願ってお年玉(「壓歳錢」)をあげます。その晩は眠らずに午前0時を待ち、午前0時が過ぎると、一斉に爆竹を鳴らして、新年の到来を祝います。

初一(旧正月初日)は年始回りで、初二(二日目)は他家に嫁いだ娘が実家に帰る習慣があります。4日は「財宝神」と呼ばれ、5日は市開き、9日は道教の最高神「玉皇大帝」の生誕を祝います。

  • 祈願

    祈願

  • 年貨大街

    年貨大街

元宵節

旧暦1月15日は「元宵節」と呼ばれ、この日をもって、正月のすべての行事が終わります。この日は年中行事のなかで、元旦に次いで大切な日です。そのため、各地では、祖先にお供えをして、「元宵湯圓」と呼ばれる団子を食べます。地方によっては「迎花灯」や「放天灯」がとり行なわれます。また、台南市鹽水では元宵節当日、スリル満点の花火で有名な「蜂炮」が開催されます。

台湾ランタンフェスティバル

「民俗文化根、伝統国際化(風習を文化として根ざし、伝統を世界に広めよう)」を合い言葉に、1990年、現在の台湾フェスティバルの原型である「台北ランタンフェスティバル」が開催されて以来、毎年元宵節に行われています。元宵節にランタンを提げる伝統風習イベントを、地元に根ざした伝統やハイテク、国際化の理念を織り交ぜながら、スケールの大きな観光イベントに発展させました。以来、ランタンフェスティバルは国内各地で催され、全国的な祝賀イベントとなっています。中でも「台湾ランタンフェスティバル」は抜きん出た、国内外でも著名な祝賀イベントです。

  • 台湾ランタンフェスティバルのきらびやかなメインランタン

    台湾ランタンフェスティバルのきらびやかなメインランタン

  • 毎日催される各国のパフォーマンス団体

    毎日催される各国のパフォーマンス団体

  • 賑やかな台湾ランタンフェスティバル

    賑やかな台湾ランタンフェスティバル

  • 台湾ランタンフェスティバルのパレード

    台湾ランタンフェスティバルのパレード

台北平渓天灯

平渓の天灯には興味深いエピソードがあります。新北市の平渓地区は、かつて大変辺鄙なところで、開拓者は何度となく危険な目にあいました。そこで、灯ろうを空に飛ばして互いの無事を伝えあったそうです。これが由来となっていますが、今では元宵の夜空を飾る観光イベントに発展しました。

  • 夜の平渓天灯上げ

    夜の平渓天灯上げ

  • 平渓天灯上げ

    平渓天灯上げ

台南鹽水蜂炮

台南市鹽水区の武廟には、「蜂炮」と呼ばれる行事があります。言い伝えでは、清の光緒年間、鹽水一帯に疫病が猛威をふるったため、住民が廟の神様「関聖帝君」(三国志の関羽)のお告げに従って、正月13日~正月15日の3日間、町中で爆竹を鳴らしたところ、疫病が嘘のように治まったそうです。それ以来、関聖帝君に感謝を込めて、元宵節に爆竹を鳴らすことを定着しました。祭りでは、関帝像を乗せた神輿が市内を一巡りします。

鹽水区の「蜂炮」は、元宵節の前夜(正月14日)から始まります。神輿が着くと、民家や商家では、次々と爆竹に火をつけます。爆竹の火花と爆音は夜明けまで続きます。

  • 塩水蜂炮(爆竹やロケット花火の祭り)

    塩水蜂炮(爆竹やロケット花火の祭り)

  • 炸寒単カーニバル

    炸寒単カーニバル

台東炸寒単

寒単爺とは、商売の守護神-武財神のことを指します。寒単財神は商の時代の趙武官公明で、理財に長けていました。そのため死後は天上界の金庫を管理する役人となったと言い伝えられ、金銭を司る、「五路財神」の一人として崇められています。また寒単爺は寒がりのため、爆竹で寒さを追い払うという説もあり、一般には「爆竹を鳴らす爆音が大きいほど、その年の財運も上向く」と信じられています。 

端午の節句

端午の節句は、春節、中秋節と並ぶ台湾の三大節句の一つです。端午節の行事は、昔の楚の国の愛国詩人「屈原」に由来します。そのため、端午節は「詩人節」とも呼ばれています。

端午節で最も馴染み深いのはドラゴンボートレースと粽でしょう。「屈原」が国の将来を憂い川に身を投げたとき、付近の人々が競って船を出し、助けようとしたことからボートレースの行事が生まれました。今では、国際的な観光イベントの一つになっています。台湾各地で(台北新店碧潭、基隆河、宜蘭県冬山河、二龍村、彰化県鹿港鎮、高雄市愛河など)、大規模なドラゴンボートレースが開催され、最近は外国からの参加チームも少なくありません。

粽も「屈原」と深い関わりがあります。川に身を投げた「屈原」が川の魚やエビの食い物にならないようにと、当時の人々が笹の葉で包んだご飯を川に投げ入れたことから始まり、、これが今日まで伝えられるようになりました。端午の節句の日には、玄関にヨモギや菖蒲などを飾ったり、香り袋を身につけたり、また「雄黄酒」を飲んだりして平安無事を祈ったりします。

中元節

旧暦の7月は「鬼月」とも呼ばれ、7月1日から7月29日までは地獄の門が開かれ、悪霊が世間に出てくると信じられてきました。そのため、人々は無病息災、家内安全を祈って大小さまざまな祭りがとり行なわれます。7月15日の中元節は、クライマックスを迎えます。基隆市主催の「鶏籠中元祭」や宜蘭県頭城、屏東県恆春で行われる「搶孤」も中元節祭りの重要な行事です。

  • 雞籠中元祭

    雞籠中元祭

  • 端午節ドラゴンボートレース

    端午節ドラゴンボートレース

中元普渡

中元節の日になると、家々では肉や魚、果物、菓子などを準備して廟の前や自宅の庭でお供えして祭ります。亡霊たちが成仏するように祈るもので、「中元普渡」と呼ばれています。

放水灯

精霊流しのことです。海や川でさまよっている亡霊たちをあの世へ正しく導くために、海岸や河岸にお供え物をして灯ろうなどを流し、水陸両世界の安泰を祈願します。

搶孤

「搶孤」も中元節の重要な行事の一つです。台湾では現在、宜蘭県頭城と屏東県恆春地区だけに残る行事となりました。中でも頭城の「搶孤」は規模も大きく盛大に行われます。

昔の人々が宜蘭地方を開拓していた頃、多くの天災や事故、疫病に悩まされました。こうして亡くなった人々を弔うために、毎年中元普渡の日には、「搶孤」の儀式が行わるようになりました。頭城は宜蘭開拓の出発点だったことから、地獄の門が閉まるとされている旧暦7月29日に付近の住民が共同でとり行ないます。

「搶孤」の当日、油を塗った12本の柱が建てられます。先端には棚が設けられ、その上には13本の旗が立ち、供え物が祭られます。祭りは深夜になって最高潮に達します。勇気ある若者5人が1組になって、ドラの響きを合図に、1本の荒縄だけを頼りに柱に登り始めます。棚の上におかれた金牌と「順風旗」と呼ばれる旗を最初に手にした若者が優勝者となります。

  • 宜蘭県頭城鎮搶孤(旗取り)祭り

    宜蘭県頭城鎮搶孤(旗取り)祭り

  • 恒春搶孤

    恒春搶孤

  • 豎孤棚(旗取り祭)

    豎孤棚(旗取り祭)

  • 競争に参加するチーム

    競争に参加するチーム

中秋節

「月祭り」とも呼ばれ、ロマンに溢れた行事です。この時期は収穫の季節であるので、神に豊作を感謝します。また、満月は家庭の円満を意味します。

中秋節の行事のほとんどが月に関係があります。月見には月餅がつきものですし、中秋節の夜には、明るい月を見ながら散策する「走月亮」といわれる習慣もあります。「月餅」には円満の願が込められています。この他、「柚子」(文旦)を食べる習慣もあります。「柚」は「佑」と読み方が似ており、月が守ってくれると考られているのです。台湾ではここ数年、中秋の夜にバーベーキューをする人たちが増えました。家族揃って月の下で炭火を囲むのも乙なものです。

  • 台北101の夜景

    台北101の夜景

  • 金門中秋月餅賭けサイコロゲーム大会

    金門中秋月餅賭けサイコロゲーム大会

台湾各地の宗教的イベント、民俗文化行事、スポーツ競技:台湾イベントカレンダー

最終更新日時:2023-03-22
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