メインコンテンツへ飛ぶ

大龍峒保安宮

台北市古跡・寺院
この文字をクリックして、キーボード操作によるアルバム機能の説明を見る:
  • アップキー:写真選択を表示
  • ダウンキー:写真選択を非表示
  • レフトキー:前の写真へ
  • ライトキー:次の写真へ
  • ESCキー:アルバムを閉じる
  • 大龍峒保安宮
  • 大龍峒保安宮の夜景
  • 大龍峒保安宮の内部
  • 鼓
  • 祭の盛況
電話番号:
+886-2-2595-1676
所在地:
台北市大同区哈密街61号
経度/緯度:
121.5154/25.0731
リンク:
大龍峒保安宮_観光関連リンク
話題タグ

大龍峒は淡水河と基隆河の合流地点に位置し、早くから開発され、保安宮が信仰の中心となりました。保安宮の敷地は広々としていて、1805年から建設が始まりましたが、工事はとても大変なものでした。また、石材、木材は全て中国大陸から運び、廟を建設する棟梁も大陸から招いたので、工事は期間を分けて施工され、25年もかかって完成しました。

保安宮に着くと、廟の前に龍柱の他に、さらに一対の変わった造りをした石の獅子があるのが目に入ります。普通、廟の前にある獅子は一匹が雄、一匹が雌となっており、雄の口は開いていて雌の口は閉じていますが、保安宮の前の獅子は両方とも口が開いています。この一対の獅子は、獅子ではなくて、その中の一匹は仁獣、もう一匹は法獣で、廟の前にいて、法律を重視し、仁政をするように大きな声で叫んでいます。

廟の中に入ると、多くの彩色画、彫刻や塑像があり、鑑賞に値します。正門前の廊下の回りを見ると、多くの動物の彫刻や塑像が目に入ります。これらには装飾としての役割のほかに、さらにもう一つの意義があります。例えばコウモリは「福」を、四匹のコウモリは「賜福」を、鹿は「禄」位(俸禄と爵位)を、鶴は「長寿」を表わします。

正殿前の空間へ来ると、主神のほせいたいてい保生大帝の列祖神尊(歴代に伝わってきた違った仏像)を見ることができます。保生大帝は中国大陸福建省同安県出身の呉滔(979年─1036年)という人で、医術に精通していて、世の中の人々の治療をして救っただけでなく、「点龍眼、医虎喉」の伝説も有ります。彼が死去した後、よく霊が現われ、人々の災害を除き、疫病を治療したので、宋の皇帝高宗は1151年に彼のために廟を建立し、さらに孝宗は1171年に彼を「大道真人」に封じました。よって保生大帝は「大道公」とも呼ばれます。その他、両側にまつられている三十六官将仏像は1829年に泉州の名匠許厳を台湾へ招聘し5年かけて完成した彫刻です。彫刻は細かく、仏像は真に迫った物です。同時に壁に中国の民間故事を描いた七枚の彩色画のあることに気がつきます。

鼓楼の下の中心には註生娘娘がまつられており、両側には十二婆姐がまつられています。十二婆姐は十二ヶ月を分担して人間の生育を専門に掌ります。以前の農業社会「多子多孫多福気」(子孫が多いほど福が多い)といった観念により、註生娘娘の誕生日には多くの婦人が遠くからも大勢参拝に訪れ、註生娘娘に子宝が授かるように祈ります。後殿は神農殿とも呼ばれ、主神は神農大帝です。言い伝えによると百年ほど前に台北では何ヶ月も雨が降らず、住民は神農に雨乞いをしました。すると間もなく大雨が降り干ばつから救われました。よって住民は神農大帝を迎えて保安宮の後殿にまつりました。

前殿の出口を出て哈蜜街を通り大きく華麗なはいぼう牌坊(鳥居のような門)の中に入ると、そこは保安宮花園です。孔子廟の近くにあることから、「隣聖苑」と名付けられました。苑内は中国庭園の造りとなっており、その中でも水上に作られた卍字橋は古代の心を深く伝えており、気晴らしをするのにいい所でしょう。

交通情報

交通情報は変更されることがあります。お出かけ前のご確認を忘れずに。
自家用車:

国道1号→台北インターチェンジで降りる→重慶北路三段→哈密街

公共交通機関:
  1. 高速鉄道あるいは鉄道で「台北駅」下車、台北MRTに乗り換え、「円山駅」下車。また、台北市バス紅33に乗り換え、「大龍峒保安宮バス停」下車。
  2. 高速鉄道あるいは鉄道で「台北駅」下車、台北MRTに乗り換え、「大橋頭駅」下車。また、台北市バス2、9、41、215、288に乗り換え、「大龍峒保安宮バス停」下車。

ツアー

周辺情報

最終更新日時: 2021-11-26
トップ