メインコンテンツへ飛ぶ

雞籠(基隆)中元祭

2018/08/11-2018/09/10
この文字をクリックして、キーボード操作によるアルバム機能の説明を見る:
  • アップキー:写真選択を表示
  • ダウンキー:写真選択を非表示
  • レフトキー:前の写真へ
  • ライトキー:次の写真へ
  • ESCキー:アルバムを閉じる
雞籠(ジーロン)つまり基隆の中元祭は、交通部観光局が選定した十二大祭りの一つに挙げられています。起源は清代に遡ります。最初に基隆に移民してきた中国福建省の漳州人と後からやって来た泉州人との間で、出身地の違いから、商売や土地、耕作、風習、信仰などの面で衝突が絶えず、死傷者を出すほどの悲劇的な対立が続いていました。1853年、杭頂(現在の南栄公墓)で、大規模な武力衝突が起き、双方合わせて100人あまりの死傷者を出しました。その後、互いの挑発で再び紛争が起きそうになった時、双方の大老と首領が協議の場を設けて和解を行い、紛争はようやく収束を迎えました。双方は、犠牲者たちを「老大公」と名付けて共同葬儀で弔いました。その後話し合いの結果、基隆地区の11の「宗親」(同じ姓で組織される親族会)が持ち回りで、中元の祭事を行うことになりました。これを「11字姓」と呼びます。宗親は、出身地ではなく血縁関係で結成されているので、漳州と泉州の出身者が互いに協力し合い、中元の供養をするようになったのです。また搶孤などの競技を開催することによって紛争を収め、社会の調和を目指したのでした。中元祭は、旧暦7月1日老大公廟で、「開龕門(鬼門が開く)」儀式を皮切りに、12日の「主普壇開燈(主普壇の点灯式)、13日の「迎斗燈遶境(宗親を象徴する山車のパレード)」、14日の放水燈遊行(宗親を象徴する山車や灯篭のパレード)や「放水燈(精霊流し)」、15日の「公私普渡(鬼の門から解放された死者たちの供養)、跳鍾馗(魔除けの人形劇)、及び、旧暦8月の「關龕門(鬼門が閉まる)」など、一連のイベントは、一ヶ月にわたって行われます。欧米のハロウィーンや日本の百鬼夜行に似ているかもしれませんね。それぞれの行事には、それぞれに歴史的背景や民俗文化の意味を含んでいます。近年では、伝統的な式典に文化的芸術要素も融合させた芸術特別展示会や国内外の有名な団体による上演なども行っています。中元節、基隆市民の気持ちが一つになって、人々に幸せをもたらすことを願っています。

交通情報

交通情報は変更されることがあります。お出かけ前のご確認を忘れずに。
タイプ:
国際
リンク:
雞籠(基隆)中元祭 観光関連リンク
主催者:
主普頼氏宗親会、基隆市政府、基隆市議会
旅行ルートを計画:

おすすめのコース